念とは様々な意味があって、考え・思慮・心から離れにくい思いなどや、心配り・注意・確認・かねての望みなどがあります。他にも一念・執念・妄念、「二十(廿)」の合音ネムが「念」の音に通じることから年月日などの二〇の意に用います。仏語だと極めて短い時間のことで、刹那など以外に、心所の一つでかつて経験したことを記録して忘れないことや、単に思いの意でも使います。他にも観想・思念などの意味で対象に向かって想いを集中して心を動揺させないことでも使われてます。仏教だとサンスクリットのスムリティ(smṛti)の訳だと、心所(心のはたらき)の名で、パーリ語の「サティ」(sati)に対応する語で、これらの語だと意識・記録していること全般を広く言い表す語です。例えば上座部仏教圏であるスリランカなどは、師僧が小僧(沙弥)をしつける際にサティ(気を付けなさい)といった言葉を使います。五位七十五法では心所有法の大地法の一つに分類されていて、五位百法では心所有法の別境の一つです。
念という感じの構成要素は今と心で、直訳すると今の心になりここへ強い気持ちといったメッセージが加わり、今の上の部分にある人に該当する箇所はふたになります。しっかりと自分の中へある強い気持ちという意味が込められていて、全ての言動の根底へ一貫しているおもいのことです。おもいが確固たるものであれば、どのようなツールを使っても相手に自分の伝えたいことがしっかりと伝わります。